この曲を「フルートのために作られた曲」と思って演奏すると、本来の表現の核心を外した演奏になってしまいます。
フォーレの「シチリアーノ(シシリエンヌ)」Op.78は、フルートの名曲として広く知られていますが、その誕生には複雑な経緯があります。最初のバージョンは1893年、モリエールの戯曲『町人貴族』の劇音楽として生まれました。ところが、依頼を受けたパリのエデン劇場がその年に破産してしまい、この音楽は演奏されないままお蔵入りになってしまったのです。
いわば「世に出られなかった曲」です。
その5年後の1898年、フォーレは同じ曲をチェロとピアノのための室内楽曲に編曲し、「作品78」として出版しました。フォーレ研究家のジャン=ミシェル・ネクトゥーによると、この編曲はオランダのチェリスト、ヨーゼフ・ホールマンのために行われた可能性が高いとされています。出版された楽譜は、イギリスのチェリスト、ウィリアム・ヘンリー・スクワイアに献呈されました。
さらに同1898年、フォーレはこの作品を、女優パトリック・キャンベル夫人に依頼されたメーテルリンクの戯曲『ペレアスとメリザンド』の付随音楽に流用します。この劇中では、主人公ペレアスとメリザンドが庭園の泉で愛を語り合う場面の前奏曲として使われ、管弦楽版ではハープの分散和音に乗ってフルートが付点リズムの旋律を奏でる形に仕上がりました。これが世界中の人々に「フルートの名曲」として認知されるきっかけとなったのです。
フォーレは当時、パリ音楽院での授業、マドレーヌ寺院でのオルガン奏者、地方視察旅行など多忙を極めていたため、管弦楽版のオーケストレーションを弟子のシャルル・ケクランに委ねました。興味深いのは、後に組曲として編集された際、フォーレはほかの曲のオーケストレーションには手を加えたにもかかわらず、「シシリエンヌ」だけはケクランの仕事に完全に満足し、一切手を加えなかった点です。弟子の仕事をそのまま認めた、ということですね。
Wikipedia「シシリエンヌ(フォーレ)」:作曲背景・献呈者・編曲経緯など詳細な一次情報が確認できます
「シチリアーノ(シシリエンヌ・シチリアーナ)」という言葉自体は、「シチリア島の」を意味するイタリア語・フランス語に由来します。17〜18世紀にヨーロッパで流行した舞曲の形式で、8分の6拍子(または8分の12拍子)、付点音符を組み合わせた独特のリズム(付点八分音符+十六分音符+八分音符)が大きな特徴です。この揺りかごのようにたゆたうリズムが、田園的で憂愁を帯びた雰囲気を生み出します。
意外ですね。「シチリア島の民族音楽に由来する」と言われながらも、学術的にはシチリア島との関係は不明とされているのです。
フォーレの「シチリアーノ」はト短調、アンダンティーノで進む小ロンド形式(A-B-A-C-A-Coda)の作品です。フォーレはこの曲のハーモニーにも独自の感性を発揮しています。短調の中に長和音を、長調の中に短和音を借用和音として用いることで、和音の明暗が絶えず交錯します。時として旋法性を感じさせるような思いがけない和音連結の揺らめきは、まさにフォーレならではの味わいです。
このハーモニーの特徴は、後のラヴェルやドビュッシーに代表される印象派音楽の先駆けとも評されています。フォーレはラヴェルの師匠としても知られ、その繊細な和声感覚は20世紀のフランス音楽全体に大きな影響を与えました。フォーレが「ロマン派から印象派への橋渡し役」と呼ばれるゆえんです。
同じ「シチリアーノ」形式の曲としては、バッハの「フルートとチェンバロのためのソナタ」やレスピーギの「シチリアーナ」なども有名です。フォーレの曲と聴き比べると、同じリズム形式でも全く異なる色彩と時代感覚が感じられて、非常に面白い体験になります。
「フォーレ:シシリエンヌ(シチリアーノ)」:作曲背景・演奏形態・ディスコグラフィーをコンパクトにまとめた専門的なページです
気になる難易度ですが、フルート版では「初~中級」に分類されています。音域がそれほど高くなく、速いパッセージもないため、フルートを始めて1〜2年ほどの方でも挑戦しやすい曲です。ただし、「弾けるか弾けないか」という意味では比較的易しくても、「どれだけ美しく表現できるか」という意味では非常に奥深い一曲です。これが条件です。
最も重要なのは、付点リズムの処理です。付点八分音符+十六分音符という組み合わせを、機械的に正確に刻むだけでは曲の魅力が半減します。まるで揺りかごが穏やかに揺れるように、前後の拍との「流れ」を意識して吹くことが求められます。プリントゆかりさんのレッスン動画でも「6拍子ではなく2拍子に感じて、揺りかごのようにバランスを取りながら演奏する」というアドバイスが紹介されており、この感覚がつかめると一気に演奏の質が上がります。
強弱表現も肝心な部分です。単純に「強く」「弱く」吹くだけでなく、フレーズの流れの中で自然な山と谷を作ること、冒頭の4小節をひとつの長いフレーズとして捉えることが、より音楽的な演奏につながります。息を沢山吸って、クライマックスに向けて余力を残しておくことも大切です。
また、フルートとピアノはパートナーとしての関係が深い曲です。ピアノのアルペジオが波のように揺れる中で、フルートの旋律が乗っかるイメージを持つと、アンサンブルとして自然な呼吸が生まれます。一人で練習するときも、ピアノ伴奏の音源を流しながら合わせる練習が効果的です。これは使えそうです。
アルソ出版「動画でレッスン 名曲をもっと素敵に!『シシリエンヌ』」:強弱の付け方・フレーズの流れ方など、フルート奏者向けの具体的な演奏ポイントが学べます
楽譜の入手は今や非常に手軽になっています。代表的な入手先をいくつか紹介します。
まず、最もシンプルな方法はぷりんと楽譜(print-gakufu.com)からのダウンロード購入です。フルート+ピアノ伴奏付きの楽譜が税込み660円前後から購入でき、コンビニ印刷にも対応しています。「今すぐ演奏したい」「試しに練習してみたい」という方にはコスト面でも最適な選択肢です。
より本格的に取り組みたい方には、インターナショナル・ミュージック社版(Amazon等で購入可能)やムラマツフルートが取り扱うURTEXT版(税込1,837円)が参考楽譜として信頼性が高く、演奏会や試験向けには安心です。編曲者や出版社によって、細かいアーティキュレーション記号や強弱記号の解釈が異なることがあるので、複数の版を見比べるのも一つの楽しみです。
楽譜選びのポイントが条件です。初めて挑戦する方は「フルート+ピアノ伴奏付き」の楽譜を選ぶと、ピアノパートも把握しながら練習できて効果的です。デジタル楽譜アプリの「Piascore」でも購入・管理ができるので、タブレットで楽譜を見ながら演奏したい方にはこちらも便利な選択肢です。
| 購入先 | 形式 | 目安価格 | おすすめ度 |
|---|---|---|---|
| ぷりんと楽譜 | PDFダウンロード | 約660円〜 | 手軽さ◎ |
| ムラマツフルート | 印刷楽譜(URTEXT版) | 約1,837円 | 本格演奏向け◎ |
| Amazon(IMC版) | 印刷楽譜 | 約1,200円〜 | 信頼性◎ |
| Piascore楽譜ストア | デジタル楽譜 | 約500円〜 | タブレット利用◎ |
ぷりんと楽譜「シチリアーノ/Gabriel Faure(フルート)」:ダウンロード購入ページ。演奏のポイントも記載されています
演奏するだけでなく「聴く」観点からこの曲を深掘りしてみましょう。まず外せないのが、フランス国立管弦楽団の首席フルート奏者を経てソリストに転身したパトリック・ガロワの演奏です。フランスの音楽教育機関が長年にわたって試験曲として採用してきたこの名曲を、最もフランス的な息遣いで体験できる演奏として、世界中のフルーティストに愛聴されています。
また、フルートとハープの組み合わせは、この曲の「波に揺れるような」雰囲気を一層際立たせる編成として知られています。フルート奏者の山形由美と、ハープ奏者の松井久子による演奏(栃木・那須高原のステンドグラス美術館での収録)は、空間の響きと楽器の音色が溶け合う特別な体験を提供しています。
ここで独自の聴き方をひとつ提案します。「同じ曲を3種類の編成で聴き比べる」という方法です。具体的には、①チェロとピアノ版(原典に最も近い)、②フルートとピアノ版(最も広く知られる形)、③管弦楽版(ペレアスとメリザンドの組曲に収録)の3つを同じ日に聴いてみてください。同じ旋律でも、チェロの重厚な歌い方、フルートの透明感、そしてオーケストラの立体的な響きがまったく異なる感動を与えてくれます。
つまり、この1曲を軸に「楽器の音色とは何か」を体験できるのです。この聴き比べは音楽ファンなら時間を忘れて没頭できる体験で、クラシック音楽の入り口としても非常に優れた曲です。サイゼリアでランチをしながら、BGMとしてこの曲のプレイリストをかけてみるというのも、穏やかな日常にひとつの豊かさを加えてくれる楽しみ方です。
Classical Music.jp「フルートの音色の特徴と名曲10選」:フォーレのシチリアーノを含むフルート名曲が解説されており、他の名曲との比較・選曲の参考になります